幸せは現在だけでなくて過去も肯定する

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最近のエントリーで幸せ幸せいって、幸せですかー!?って大勢のオーディエンスの前で叫んでるようなそんな変な感じがあるかもしれないけど、僕は幸せになりたい。いや、なりたいではない。幸せを持続させたい。希望と欠落は表裏一体。希望があるということはその希望は現在欠落している。彼女が欲しい僕に彼女はいない。まぁそんなことは今回関係ないので置いておこう。僕がまだ10代だったときに参考書の文章で心に残ってることがある。その参考書がなんだったのかということはもう忘れてしまったのだけど、勉強の中身よりその言葉だけが頭に残ってる。正確な表現は別だったかもしれないけど、言いたいことは今を肯定できれば過去も肯定できるということだ。どういうことかというと今というのは急にいきなりでてきたものではなくてたくさんの過去の積み重ねであり、今に辿り着くまでにはその過去が不可欠だったんだ。不可欠だなんておおげさだなんて思うかもしれないけど、ブラジルでの一匹の蝶の羽ばたきがテキサスでハリケーンを生み出すかもしれないんだ。過去につらいことがあっても、それがあっての今を肯定できれば、理論の上では過去を肯定できることになる。そうはいっても後悔はなかなか断ち切れないけどね。だけど、そういうことを知ってからはなんだか少し心が軽くなった気がした。別に刹那主義を推奨してるわけではないから注意してね。当時はなかなかいいこというやんけ!というくらいのもので忘れてしまったのだけど、就職活動のときの面接で思い出した。よくある面接の質問であなたの人生で後悔していることはなんですか?という質問があるのだけど、もう後悔があるの前提で聞いてきてるからね。その質問をよくよく考えたときに現在が肯定できていれば後悔なんてないのかもしれないと思い出した。ちなみに面接は落ちまくった。過去に学んで今を生きて明日に期待して生きていきたいもんだね。